第1弾はコアラ・レコーズに縁の深いこの人から!ヴァスコ・デブリート・インタヴュー
「三月の水 アントニオ・カルロス・ジョビン・ブック」の著者・岩切直樹さんによるヴァスコ・デブリートの最新インタヴュー
<このページの目次>
*背景について
*ビートルズとシコ・ブアルキ
*自作について
*ヴィジョンズ
*プライア・ドス・コライス
*背景について
……まずはヴァスコが大きな影響を受けたミュージシャンの話を聴かせてください。
VD:いちばん最初はドリヴァル・カイミとノエル・ホーザだった。そしてあとになって、シコ・ブアルキ。それからさらにあとになって、トム・ジョビン。ジョビンが最初じゃなかったんだ。
……カイミとホーザの音楽が好きだったのは何歳くらいの時?
VD:12歳か13歳の時だね。いつも彼らの曲を聴いていた。一曲一曲をとても良く覚えているよ。祖父が大きなテープレコーダーを持っていてね、それで自分のお気に入りを集めてDJテープを作ったりしていた。カイミ、ホーザ、マイーザなんかのね。エリス・ヘジーナとジャイル・ホドリゲスの「ドイス・ナ・ボサ」も大好きだった。
……自分で演奏を始めたのは?
VD:13歳か14歳の時だった。最初はクラシックギターだったんだ。僕はクラシックのギタリストになりたかった。あとになって諦めたけどね(笑)。
……クラシックも好きだったの?
VD:好きだったよ。いちばん好きだったのはラフマニノフだ。
……それは何となくわかるような気がするね。でも、カイミやホーザとクラシックを並行して聴いていたんだね?
VD:祖父の家に音楽のための部屋があったんだ。祖母がピアノを弾いて、母もピアノを弾いて、あと、皆でギターを弾いたり、歌ったりしてね。そういう特別な部屋があった。ディスコグラフィなんかもちゃんとあった。大きな家だったんだね。その部屋でいろいろな音楽を聴いた。あらゆる音楽をね。それは僕には良かったと思うよ。僕の音楽教育のためには良かった。とてもハートフルな集まりだった。祖父は、稼いだお金をグッド・ミュージックやグッド・ワインやグッド・ライフのために使う人だった。母方の祖父の話だよ。
……家族の中にミュージシャンはいたの?
VD:叔母がミュージシャンになろうとしたけど、結局はならなかった。いい歌手だったんだけどね。それよりも、そうだ、とても誇りに思っているんだけど、僕の母親はすばらしい歌手なんだ。すごく歌がうまいんだよ。今でもね。母は、ブラジルの音楽じゃなくて、アメリカの曲を良く歌った。今でも覚えているのは、「♪Sometimes
I wonder why I spend the lonely night……」。
……「スターダスト」。
VD:「スターダスト」だね。僕の母はあの曲をとてもうまく歌った。僕は母から教わったんだ。当時の家族の集まりではブラジルの音楽よりもアメリカン・スタンダードを多く歌った。6歳から9歳くらいのことだ。僕が最初に演奏したのもその頃だ。家族と一緒に演奏したんだ。
*ビートルズとシコ・ブアルキ
……本格的に音楽の道に進むようになったのは?
VD:10代の頃はバンドを組んでナイトクラブで演奏したりしていた。それには親の許可が必要だったんだけれどね。16歳くらいの時のことだよ。その時はビートルズも演奏したし、何でも演奏した。もちろんシコ・ブアルキも演奏したし、トム・ジョビンも演奏した。でもナイトクラブの客はトムやシコの音楽よりも踊れる音楽が好きだからね。当時はまだ自分の音楽は作っていなかった。
……それはリオでの話?
VD:サンパウロでの話だよ。僕はサンパウロの田舎で生まれたんだ。で、そのあと、エンジニアになるために大学に行った。ブラジルのいい家庭は子供を医者にするために大学に行かせるんだけど、僕は父の勧めでエンジニアになる勉強を始めた。でもリオに行って、トム・ジョビンを観たり、シコ・ブアルキを観たり、いろんな人たちと会ったりしているうちに、エンジニアになんかなりたくなくなっちゃったんだ(笑)。
……ミュージシャンになる決心をしたんだね?
VD:そう。ミュージシャンになるしかないぞと心に決めた。音楽には子供の頃から親しんできたけれど、僕にミュージシャンになることを決心させたのはリオなんだ。だからリオは僕にとってとても大切なんだよ。「君はミュージシャンになるしかない」と言われたんだ。
……誰に言われたの?
VD:人生にさ。そして出会った人々にさ。ストレートに言われたのではなかったとしてもね。
……いちばん大きな影響を受けたミュージシャンは誰だと思う?
VD:最初は、ノエル・ホーザとドリヴァル・カイミだった。でも最大の影響を受けたのはシコ・ブアルキだ。シコは僕にはショックだった。
……ヴァスコにとってはシコがいちばん重要なミュージシャンなんだね?
VD:作詞家としてはね。シコは僕にどうやってポルトガル語の歌詞を書くかを教えてくれた。当時の僕はビートルズが大好きだったんだ。そういう世代だからね。熱狂的に好きだったよ。彼らみたいに演奏したかった。クラシックギターのことなんか忘れちゃった。「♪I
wanna hold your hands!」(笑)。だから英語で歌詞を書こうとしていたんだ。でも、1966年にシコが登場して「ア・バンダ」を歌った時、僕はびっくりした。これはポルトガル語の歌詞を書くべきだと思ったんだ。そういう意味でシコはとても重要なミュージシャンだね。
……でもヴァスコの音楽は、もちろん、カイミ、ホーザ、シコ、トムの影響は大きいと思うけれど、例えばクラシックや、アメリカン・スタンダードや、ビートルズの影響も、少しずつ含まれているんだろうね?
VD:そうそう、そうなんだよ。僕はあらゆるものから影響を受けている。そのことはとても幸せに思うね。ビートルズ、シコ、そして、トム・ジョビン。ジョビンに影響を受けたのはずっとあとなんだ。ジョビンが僕に教えてくれたのは、要するに、愛するということだね。多くの人が僕の音楽はジョビンの音楽に似ていると言うけれど、そんなに大きな影響を受けているとは思わない。それよりも、カイミ、ホーザ、シコの影響の方がずっと大きいと思う。もちろん僕の声はジョビンの声に似ているけれどね。こればかりは仕方がない。
……トム・ジョビンもクラシックやアメリカン・スタンダードの影響を大きく受けた人だから、ヴァスコの音楽に共通している部分を見出す人は多いんじゃないかな?
VD:長年一緒に演奏しているギター・プレイヤーが、僕の音楽をとてもブラジル的だと言っている。「トム・ジョビンのクオリティの音楽と、シコ・ブアルキのクオリティの歌詞」と言ってくれているんだ。
……その人がそう言う気持ちは僕にはとても良くわかるよ。
*自作について
……それではヴァスコのアルバムについて話を聴いていきたいんだけれど、まずはファースト・アルバムの『ウン・ヂーア・ア・コイザ・ムーダ』についてコメントを。
VD:ラヴリー・ファースト・アルバム(笑)。フレッシュ・ヴァスコだね。どうやって作曲するかを発見したばかりの僕。1979年に録音して、80年に発売された。特に気に入っている曲は、「ヴァルサ」「カント・マイオール」「テウ・セグレード」の3曲だ。それと、LPではA面の最後に入っていた「アダージョ」。「アダージョ」は、「僕が死んだらこの曲を掛けてバイバイを言って欲しい」とみんなに言っている曲なんだ。このLPはとても好きだよ。ブラジルで発売された当時は、A面最初の「ネム・サント・アジューダ」がラジオでも良く流れていた。
……その次がセカンド・アルバムの『トドス・ア・ボルド』。これは日本では発売されていなくて、僕も聴いたことがない。
VD:実はこのアルバムはブラジルでもほとんど流通していないんだ。契約の問題でトラブルがあったんだよ。そのうちの四曲は僕がマスターを保管している。いつかリリースしたいと思っている。中でもタイトル曲の「トドス・ア・ボルド」はとても美しい曲なんだ。ブラジルと言うよりは南アメリカのスタイルの音楽だね。いつか出さなくちゃいけないと思っている。
……日の目を見ることを祈っているよ。で、そのあと海外で暮らすことになったわけだよね?
VD:ブラジルの音楽はすっかり変わってしまった。海外の方が僕の音楽を評価してくれる。とりわけ日本には感謝しているよ。
……パリにいた時期もあるんだよね?
VD:パリでの生活はひどかった(笑)。たった一つ良かったことがあるとすれば、それは「バレリーナ」を書いたことだ。
……「バレリーナ」は娘さんのジュリアのために書いた曲だよね。アルバム『ヴィジョンズ』の中でも特に美しい曲だね。
VD:あの曲は僕の宝物だ。先日も、これから歌い始めるという女性が、最初のステージで「バレリーナ」を歌いたいと言って連絡してきた。そういうことには感激するね。その曲を書いたのがパリなんだ。僕が暮らしていた地区はパリの中でも特にたちの悪いところだったんだけど、カザン・ガマというミュージシャンが「そんなところに住んでいないで一緒に住もうよ」と誘ってくれた。それで彼の家で書いた曲が、「バレリーナ」と「サムホェア・イン・トーキョー」と、「ポル・ウン・フィオ」だった。1990年前後の話だよ。
*ヴィジョンズ
……それでは『ヴィジョンズ』についてコメントを。
VD:10年間レコードを作っていなかったこともあって、このアルバムは僕の音楽のエッセンスだ。コンセプトは、マイ・ミュージックであり、マイ・エモーションであり、マイ・ヴィジョンだね。
……「アグアス」も名曲だと思う。
VD:「アグアス」を書いた時のことを話そうか? 僕はジョアン・ドナートと電話で話していたんだよ。本音の話をね。ジョアン・ドナートはとても疲れていて、プレッシャーを感じていて、参っていた。それで僕は電話を切る時に、「シンプルなことをしなくちゃいけないよね」と言ったんだ。ジョアン・ドナートも「本当にそうだよな」と言っていた。で、電話を切って、僕は「アグアス」を書いた。本当に一気に書いたんだよ。
……一晩で?
VD:二分でだよ(笑)。
……それはすごい(笑)。
VD:その翌年、ジョアン・ドナートが新しいCDを出した。そのタイトルを見てびっくりしたよ。「コイザ・シンプレス」。おいおいこれは僕がジョアン・ドナートに言ったことじゃないか?(笑)
……『ヴィジョンズ』では「リオ・デ・ジャネイロ」も印象的だよね?
VD:リオは僕のホームランドじゃないけれど、僕のホームだと思っている。「リオ・デ・ジャネイロ」は、日本でまだ友だちがいなかった時に、とても淋しくなって作った曲だった。人に会いたかったし、人と話したかったし、でもそれができるのはリオだけだった。とても良いメロディができたと思うよ。そういうすごく淋しい曲なのに、メロディが暗くないのがいい。
*プライア・ドス・コライス
……では続いて『プライア・ドス・コライス』についてコメントを。
VD:すべてが完璧にできていると思う。『ヴィジョンズ』が「エッセンス」だとすると、『プライア・ドス・コライス』は「パーフェクト」だ。自分の作品についていうのは難しいんだけれど、これはグレート・アルバムだよ。僕は『ヴィジョンズ』を出した時に、「人々がこれを理解するにはおそらく3〜4年掛かるだろう」と言ったんだ。実際はそれ以上の時間が掛かって、あれから5年経っているんだけど、ようやく『ヴィジョンズ』が評価されるようになってきた。『プライア・ドス・コライス』については「理解されるまでに5年以上掛かるだろう」と言ったんだ。だからおそらく8年掛かるだろうね。これは本当にすぐれたアルバムだと思う。10年後に評価されるのかもしれない。僕のワーク・オヴ・アートだね。このアルバムがあるおかげで、なかなか次のアルバムが作れないんだよ。
……代表的な曲について聴きたいんだけど、まずはさっきも話の出た「ポル・ウン・フィオ」。
VD:「ポル・ウン・フィオ」はパリで書いたんだけど、それはメロディだけで、別の歌詞がついていたんだ。『プライア・ドス・コライス』を録音するに当たって新しい歌詞を書いた。アレンジも新しくしてね。で、面白い話があるんだけど、ブラジルで最近出た有名な心理学者の本が、「ポル・ウン・フィオ」というタイトルなんだ。普通に遣われる言葉ではないんだよ。
……へえ。
VD:それから、「ボサノヴァの歴史」で有名なルイ・カストロが、新しい本「カルナヴァル・ノ・フォゴ」の中で「サンバ・エン・ベルリン」という言葉を遣っているんだけど、僕は「フィズ・ウン・サンバ」の中でまさしく「サンバ・エン・ベルリン」という言葉を遣っているんだよ。僕はルイ・カストロにCDを贈ったから、彼は『プライア・ドス・コライス』を間違いなく聴いているはずなんだ。僕のほかにはこの百年間誰も遣っていない言葉なんだよ。
……それは面白いねえ(笑)。あとはこのアルバムでは、冒頭の「ピンドラマ」も印象的だね?
VD:この曲には一つのイメージがあった。それはジョビンのイメージなんだ。ジョビンのエレメントを使った曲だよ。とても美しい曲になって良かったと思っている。そして、実はこのアルバム全体が、ジョビン、シコ、カイミ、ホーザのエレメントでできているアルバムなんだ。
……「プライア・ドス・コライス」は?
VD:この大磯に引っ越してきて、ギターで曲を作り始めたんだけど、最初はメロディがなくて、コードだけを作っていったんだ。そんなふうに曲を書いたことは一度もなかったんだけど。最終的には、大磯の砂浜に行った時に、大きな岩があって、かもめがいて、それでメロディが完成した。これはとても大切な曲だ。大磯で妻ゆうこ
と新しい生活を始めた曲だからね。ブラジルと日本の結び付きも示唆しているんだよ。
……ヴァスコの曲は歌詞がとても美しいのに、日本人はポルトガル語をあまり理解しないのが残念だねえ。
VD:確かに残念だ。でも、ブラジル人もポルトガル語をあまり理解しないみたいだよ(笑)。ブラジル人は必死になってモダンになりたがっているんだけど、「何がモダンなのか?」が問題なんだ。
……ヴァスコの曲はミュージシャンからはとても愛されるでしょう?
VD:そうだね。みんなとても気に入ってくれている。それはとても大切なことではあるんだけど、残念ながらミュージシャンはCDを買わないんだよね(笑)。
……次のアルバムはいつ頃になりそうなの?
VD:すでに30曲くらいできているんだけど、そこから厳選しないといけないしね。それに、さっきも言ったように、『プライア・ドス・コライス』が最高の内容だったので、それ以上の内容のものが創り出せるようにしないといけないね。「ニュー・グレート・サプライズ」と呼ぶにふさわしいものができるように、準備しているところだよ。
……今日はどうもありがとう。これからも活躍を楽しみにしています。
VD:こちらこそどうもありがとう。
*このインタヴューは英語とポルトガル語と日本語のちゃんぽんで行なわれました。